江戸東京たてもの園 紅葉とたてもののライトアップへ行きました。

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11月21日(土)、22日(日)、23日(月・祝)に

東京江戸たてもの園で、夜間特別開演「紅葉とたてもののライトアップ」に

行ってきました。

東京江戸たてもの園は広大な敷地に、いろいろな時代の建物が移築されています。

今回は「前川國男邸」が東京都指定有形文化財、「吉野家」「天明家」

「奄美の高倉」が小金井市指定有形文化財となったのを記念した、

4つのたてものを主役としたライトアップでした。

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ライトアップされた紅葉。

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吉野家(農家)

江戸時代後期に建てられた民家です。吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家といわれ、式台付きの玄関や付け書院のある奥座敷に格式を見ることができます。
[三鷹市野崎二丁目/江戸時代後期]東京江戸たてもの園 HPより

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奄美の高倉(あまみのたかくら)

美大島にあった高床式の倉庫です。湿気や鼠の害から穀物を守るために、建物本体を地面から高く上げています。
このような高床式の建物は、東京都の八丈島などにも見られます。
[鹿児島県大島郡宇検村/江戸時代末期頃]東京江戸たてもの園 HPより

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八王子千人同心組頭の家

八王子千人同心組頭の家八王子千人同心は、江戸時代、八王子に配備された徳川家の家臣団です。 拝領屋敷地の組頭の家は、周辺の農家と比べると広くありませんが、 式台付きの玄関などは、格式の高さを示しています。
[八王子市追分町/江戸時代後期]東京江戸たてもの園 HPより

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綱島家の炉端

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月がぼんやりと・

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デ・ラランデ邸

元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)年ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。
[新宿区信濃町/1910年(明治43)ころ]東京江戸たてもの園 HPより

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三井八郎右衞門邸

港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は、1897年(明治30)頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。また、蔵は1874年(明治7)の建築当初の土蔵に復元しました。
[港区西麻布三丁目/主屋:1952年(昭和27)土蔵:1874年(明治7)東京江戸たてもの園 HPより

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前川國男邸

日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、 品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅です。
戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。 外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎・寝室を配した シンプルな間取りになっています。
[品川区上大崎三丁目/1942年(昭和17)]東京江戸たてもの園 HPより

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田園調布の家(大川邸)

1925年(大正14)郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。
居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。また、当時としては珍しく全室洋間となっています。
[大田区田園調布四丁目/1925年(大正14)]東京江戸たてもの園 HPより

日常を旅する (中央線 三鷹~立川エリアを楽しむガイドブック)

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高橋是清邸の庭

港区赤坂にあった高橋是清邸庭園の一部を復元しています。組井筒を水源にした流れと、 雪見型灯籠などを含む景観を再現しています。是清は芝生で日光浴や庭の散歩を好んだといわれています。東京江戸たてもの園 HPより

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都電7500形

渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・(神田)須田町まで走っていた車輌です。交通量の急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて1972年(昭和47)から順次廃止されました。
製造年:1962年(昭和37)
所属営業所:青山営業所→柳島営業所→荒川営業所 東京江戸たてもの園 HPより

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丸二商店(荒物屋)

コミュニティ・ミュージアムへ

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花市生花店

昭和初期に建てられた〈看板建築〉の花屋です。建物の前面は花屋らしくデザインされています。店内は昭和30年代の花屋を再現しています。
[千代田区神田淡路町一丁目/1927年(昭和2)]東京江戸たてもの園 HPより

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大和屋本店(乾物屋)

港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた木造3階建ての商店です。3階の軒下を伝統的な〈出桁造り〉にする一方、間口に対して背が非常に高く、看板建築のようなプロポーションを持ったユニークな建物です。戦前の乾物屋の様子を再現しています。
[港区白金台4丁目/1928年(昭和3)]東京江戸たてもの園 HPより

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子宝湯

「千と千尋の神隠し」のモデルになったと有名な銭湯です。

東京の銭湯を代表する建物です。神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など贅(ぜい)をつくした造りとなっています。
[足立区千住元町/1929年(昭和4)]東京江戸たてもの園 HPより

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小寺醤油店

大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。味噌や醤油、酒類を売っていました。
庇の下の腕木とその上の桁が特徴の〈出桁造り(だしげたづくり)〉がこの建物のみどころです。
[港区白金五丁目/1933年(昭和8)]東京江戸たてもの園 HPより

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旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)

尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立(こんりゅう)した霊屋です。
この建物は東京都の文化財指定を受けています。
[新宿区市ヶ谷富久町/1652年(慶安5)]東京江戸たてもの園 HPより

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